
今年の4月に本市初の義務教育学校である「桜島学校」が開校します。同校の校歌制作にご協力いただいたお二人と、下鶴市長が対談しました。
本当は最初に、萌音さんと打ち合わせをしてから曲作りに入ろうと思っていたのですが、その前に鹿児島に帰って、桜島に3回ほど通っているうちに曲のイメージがどんどん湧いてきて、打ち合わせの前には曲が出来上がっていました。
作曲するにあたって、やはりじかに桜島を見たいと思われたのですね。

湯之平展望所から夕日で赤く染まる桜島を見たいと思って、展望所にも2日間通いました。結局、赤くはならなかったのですが、ゆっくりと日が暮れて、真っ暗になっていく様子を眺めたりして。どの曲を作るときにも、その前に自分ができる限りのことにチャレンジしようと決めていて、これだけやったのだから絶対に皆さんが喜んでくれる良い曲ができる! と常に思っていますね。
上白石さんは、吉俣さんが作られた曲を聴かれてから、どのように校歌の作詞を進められたのでしょうか。
実は私も、吉俣さんから曲を聴かせていただく前に、桜島を実際に訪れたんです。桜島で暮らす子どもたちが、どのような景色を見て育っているのかを知りたくて。訪れてみてまず思ったのは、桜島に来ると、私が見て育った完全な山の形をしたシンボル“桜島”としてではなく、そこに活火山が存在して、共に生きているんだっていうことでした。そこから、桜島という言葉は使わずに、桜島を表現したいという思いに至ったんです。
桜島にある各学校の校歌には「桜島」という言葉はあまり出てこない。初めて萌音さんが作った歌詞を見たときに、よく桜島を連想する言葉が思いついたなーって感じました。
歌詞を書くために、他にもいろいろと調べられたのではないですか。

はい、この春に統合される8つの全ての学校の校歌や、校章を資料として提供いただいたり、桜島の子どもたちに、入れてほしい言葉などを聞くためのアンケートに協力いただいたりもしました。そこからは、吉俣さんの曲のメロディーに導かれるように、作詞を進めました。
すごい、そこまでしていただいたのですね。お二人が、桜島にどっぷり漬かりながら校歌を制作していただいたことがよく分かり、本当にありがたいです。
鹿児島で育ったお二人には、桜島にまつわる思い出もあると思いますが、いかがですか。
学生の頃に、学校から桜島がきれいに見えていたので、自然と、今日は噴火しているかな? 教室の窓は開けられるかな? と思いながら眺めていましたね。習い事の友人で、桜島から通っている人や、お父さんがフェリーの操縦をされている人もいて、身近に感じる存在でした。
お仕事を始めて間もない頃に、桜島を目の前にするロケーションで取材を受ける機会があり、そのときには、桜島から「頑張れよ!」って言われてる気がしたんです。あのときに見た景色と、感じた思いは今も忘れてはいけないと思っています。
実家が旅館をしていて、その2階の部屋から桜島を眺めるのが日常でした。その頃も今も、桜島のことが大好きで、だからこそ、鹿児島の曲作りを頼まれたら、まずは目の前で桜島を見てからスタートするって決めています。
大河ドラマの篤姫の曲を手掛けたときに、3週間は曲を作らずに桜島を眺めて過ごしたのですが、そのときに一度だけ、桜島から風ではなく「気」のようなものが吹いてきたような感覚がありました。萌音さんと同じで、桜島から「キバレよ!」と言われた気がしましたね。
ふるさとのシンボルである桜島の存在は、第一線で活躍されるお二人の活動の支えにもなっているのですね。
私を含め、鹿児島の人って桜島を見ると帰ってきたなーって思うじゃないですか。先日、県外出身の知人から、そういうシンボルがあるって本当にうらやましいって言われたんですよね。当たり前すぎて地元にいると気付きにくいですけど。
私も東京で生活していたときには特に、飛行機の中から桜島を見つけては、鹿児島に帰ってきたんだなーと、ほっとした気持ちになっていました。鹿児島にいても、いなくても心の中にずっとあるんですよね。
空港に着くと、自然と桜島のパネルに目が行ってしまったりもしますし。改めて、鹿児島の人にとって特別な存在である桜島の、学校の校歌制作に携わることができたことを大変光栄に思います。

仕事やプライベートで、国内外さまざまな所を訪れているお二人から見て、鹿児島のポテンシャル(可能性)はどう感じますか。
目の前に錦江湾があって、桜島がある最高のロケーションを生かしたまちづくりは、まだまだ進めることができるのではないかと思っています。実現すれば、鹿児島にもっとたくさんの人を呼び込める可能性があると。また、鹿児島中央駅近くの甲突川沿いも、とてもいい場所ですよね。
市では、まさに海を生かしたまちづくりを進めているところです。昨年には、磯海水浴場にあるビーチハウスに民間の力を導入し、カフェやリゾートホテルが開業しました。素晴らしい景観に加えて、黒豚しゃぶしゃぶなど鹿児島の食の魅力を楽しめるようになりました。
甲突川沿いの緑地でも、屋台やキッチンカーの出店などで新たなにぎわいを生み出すための試みが始まっているんです。民間の皆さんのアイデアを取り入れながら、このような取り組みをどんどん広げていきたいと考えています。
磯海水浴場から望む桜島
私も鹿児島は魅力にあふれていてポテンシャルも高いと思います。ただ、たくさんありすぎて東京の友人に尋ねられたときに、お薦めのお店とか、観光スポットとかが、すらすら出てこなくて困ったこともありました。鹿児島で暮らしているときには、観光という観点で地元を知る機会がなかったなと振り返ります。県外から友人が来たらこのお店に連れて行こう、海外からお客さんが来たらここを見に行こうという視点で学生の頃から鹿児島を見ていたら、大人になってからも役立つような気がします。
中高生の頃までに、学校の授業なども活用しながら、地元の魅力をもっと知ってもらう機会を増やしていければいいですよね。オンリーワンの魅力をさらに磨きながら若い世代の皆さんが、もっと鹿児島で頑張りたい、鹿児島に帰って来たいと思ってもらえる鹿児島市を創り上げていきたいと思います。
お二人は、2026年をどのような年にしていきたいとお考えですか。
今年は音楽活動45周年の節目でもありますので、自分の原点である鹿児島で何かやりたいと思っています。学生時代に天文館のお店でピアノを弾くアルバイトをしていて、そこで多くのミュージシャンと知り合ったことがきっかけで、今こうやってプロとして活動ができていますので、ぜひ実現したいです。
歌のお仕事を始めてから10年になるので、鹿児島の方々にも感謝を伝えられればいいなと思っています。今年はチャレンジも多い一年になると思いますので、今まで以上に、自分が帰れる場所、心のよりどころである、ふるさとの存在が大きな支えになります。時間を見つけて鹿児島に帰ってきて、しっかりとエネルギーチャージしながら頑張っていきたいです。
お二人のお帰りを市民の皆さんと一緒にお待ちしています。
鹿児島では、今なお多くの人から愛される郷土の偉人、西郷隆盛の生誕200年、没後150年という大きな節目を令和9年度に控えています。それに向けて今年は、鹿児島市内外で西郷さんの偉業を改めて見つめ直し、広めていく期間としてもしっかりと取り組んでいきたいと思います。

私は鹿児島の街や住んでいる人がすごく好きで、東京と鹿児島の2拠点生活をしているくらいです。魅力あふれる鹿児島に住んでいることを市民の皆さんには、ぜひ誇りに思いながら、この一年楽しく過ごしていただきたいと思います。

私自身は鹿児島を離れていますが、鹿児島弁を話すと一気にお休みモードになれるんですよね。ふるさとを離れていても、仕事で標準語を使っていても、鹿児島の言葉をこれからも大切にしていきたいと思います。鹿児島の若い世代の皆さんには、無理にではないのですが、親戚や友人と集まるときには、ぜひ鹿児島弁で盛り上がっていただければうれしいです。

ありがとうございます。今年も、市民や事業者の皆さん、また、お二人のように鹿児島に熱い思いを寄せてくださる多くの皆さんとのつながりを力にしながら、皆さんがワクワクする未来を描けるように、“選ばれる鹿児島市”を実現する取り組みを進めていきたいと思います。

鹿児島県出身の俳優、歌手。
テレビ番組、映画、舞台で俳優・ナレーター・声優として幅広く活躍。「第48回日本アカデミー賞」では、主演作『夜明けのすべて』にて主演女優賞を受賞。歌手としてのアーティスト活動も行い、自ら作詞も手がける。

鹿児島市出身の作曲家。大河ドラマ「篤姫」などのテレビ、映画音楽やアーティストの楽曲アレンジを担当するほか、市制施行130周年を記念した本市のテーマ曲「未来へつなぐ鹿児島」を作曲。また、2023年「燃ゆる感動かごしま国体・かごしま大会」の式典音楽を手掛けるなど、さまざまな分野で幅広い活動を展開中。
このたびは、鹿児島出身のお二人に、この春開校する「桜島学校」の校歌制作をお引き受けいただき誠にありがとうございます。先ほど、一足先に制作中の校歌を聴かせていただきましたが、桜島の学校の情景やそこに通う子どもたちの様子が目に浮かび、また、ふるさと鹿児島に帰りたくなる気持ちも呼び起こされるような素晴らしい楽曲ですね。まずは、この校歌をお二人がどのように制作されたのかお聞かせいただけますか。